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劇場を守ろう

全国小劇場ネットワークがクラウドファンディングを立ち上げました。
新型コロナウィルスの感染対策のため、営業自粛を続けている全国の小劇場の再開時に向けた支援を募っています。

https://readyfor.jp/projects/shogekijo-network

今回の危機に立ち向かうため、世界中のたくさんの劇場関係者たちがインターネットなどを通じて様々な新たな試みを続けています。
それは、舞台芸術の新たな可能性を探る試みであると同時に、劇場という場所が持つ意味をもう一度考える機会となりました。
劇場で体験する舞台芸術とは何でしょうか?
他のさまざまな芸術との違いは何でしょうか?

それは、“「かたち」と「おわり」がある”ということではないでしょうか?
演劇などの舞台芸術を、例えば映画と比べてみたときに、最も大きな違いは、そこに俳優の身体が実体として存在するということにあります。

すなわち「かたち」がそこにある。
では「かたち」のある芸術、例えば彫刻と舞台芸術の違いは何でしょうか?
彫刻がずっとそこにあり続けるのに対して、舞台芸術には、時間の流れがあり、端的に言うと「おわり」があるというのが大きな違いだと言えます。
この“「かたち」があって「おわり」がある”というのが、舞台芸術を他の表現分野と異ならしめている大きな要素ではないかと思います。
では、“「かたち」があって「おわり」がある”事とは、私たちにとってどんな意味を持つのでしょうか?

それは一言でいうと「いのち(生命)」ではないか?と私は考えています。
この場合の「いのち」とは、科学的な定義での生命の事ではありません。
私たちの心が、“「かたち」があって「おわり」あるもの”に触れたとき、私たちはそこに「いのち」の存在を見出しているのだと思います。
たとえば、お気に入りのグラスが割れてしまったとき、物体がただ形を変えただけなのに、なにかかけがえのないものを失ってしまったと人は感じます。
それを「いのち」と呼ぶことができるのではないでしょうか?
そういった、観念的な意味での「いのち」を、あらゆるものの中に人は感じることができるのだと思います。
舞台芸術とはそんな「いのち」を表現する芸術であり、
劇場とは「いのち」を感じる場なのです。

また、ひとつの場所と時間を共有する、ということはその瞬間、自分の人生の一部、いのちの一部を他者と共有することにほかなりません。
いのちといのちが触れ合う瞬間に、魂を揺さぶるようなエネルギーをもらったり、そのはかなさに胸をしめつけられたりして、いつまでも忘れられない感動を得られるのだと思います。

だからこそ、そんな場所を、私たちはこれからも失ってはいけないのだと思います。
今はまだ、直接いのちが触れ合う場所としての劇場を開くことはできません。
けれどいつか必ず、その日が来ることを信じています。その日になればまた、劇場でたくさんの、「いのちの出会い」があることを信じています。

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